機能環という考え方

北海道札幌市で脳卒中専門に自費リハビリをさせていただいております。「脳とカラダの研究所」の藤橋亮介です。

本日も引き続き、動くことの根本について、考えていきたいと思います。

リハビリテーション分野においても、人の体を良くしようとして、さまざまな治療方法があります。

根本的に人の体の仕組みには、骨や筋肉の数や形など共通するものが多いですが、どの部分を中心して考えるのかでいろいろな方法が生まれてきました。

脳とカラダの研究所でおこなうリハビリの中心となっているのは、「認知神経リハビリテーション」というものを主体としております。

認知神経リハビリテーションの概念では、人の体は、運動するものというよりは、感じる(知るための)ものとしてとらえます。

その一つの考え方を、「機能環」という図に表すことができます。

図は改変引用させていただいております。

脳から命令が出て、筋肉が動きます。
筋肉が動くことで、体が動きます。
動くことで、体の部位から感覚が感じられます。
その感覚が、情報となって脳に送られます。
ということが繰り返されることが、動くことのメカニズムとして考えられます。
※「物」というのは、コップやハサミだけでなく、床やイス、ベッドなど、自分の体以外のものを示しています。

基本的にはこの構造は、人の行動を考えると、どの治療方法においても同じことがいえるとはおもうのですが、はじめに言ったように、どの部分に注目するのかによって、方法も異なってくるのかと思います。

例えば、筋肉に注目した場合、筋力を増強することで、動くことそのものを変えようとします。

直接、運動自体に注目して、動きを変える方法もあると思います。

脳や神経を意識して、反復して繰り返す方法もあるとおもいます。

脳とカラダの研究所では、感覚について注目して取り組んでいきますが、

感覚は情報となります。

感覚の情報を正しく脳に送ることで、筋肉に筋肉に送られる脳からの命令を、正しく送ってあげようというものです。

正しく送られるようになると、筋肉の動きが変わって運動が変わってきます。

そのため、体を通して、この情報を正しくとれるようにしてあげて、脳を活性化させることを目的としています。

脳卒中になると、体の動きにくさが症状として現れるため、動きを変えたいと思うとおもいます。

その解決方法として、運動したり、筋肉を強くしたりすることが多いと思いますが、

損傷したものは脳ですよね。

筋肉は実際には損傷していません。

なので、脳が正しい情報を筋肉に伝えられると、しっかりと動いてくれるはずなのです。

私はこの情報に対して、リハビリを行うことで、脳の回復を狙っていきます。

これは失語や、高次脳機能障害でも同じです。

逆に考えることもできます。

今回の機能環の図の説明として、義足の方が走る絵を使わせていただきました。

膝から下が無いということは、膝から下の筋肉や感覚が全く入ってこないということです。

つまり、膝から下の筋肉や、膝や足の裏の感覚などがなくても、歩くことや走ることもできるようになります。

どうして歩いたり走ったりできるのでしょうか?

その点が、情報をうまくコントロールすることにつながります。

ここで間違って欲しくないことは、単純に感覚麻痺のような、「感覚がない状態」を、「感覚がある状態」にするということでは無い!
ということです。

次回は、この点についてもお話させていただこうと思っています。

なにかありましたら、コメントや、ホームページのお問い合わせから気軽にご質問ください。

最後までご覧いただきありがとうございました。

機能環という考え方” に対して2件のコメントがあります。

  1. 松島裕 より:

     沖縄の当事者会以来ですね。ご無沙汰しております。
     皮膚や筋肉が損傷していないのに脳が感じる痛み(中枢性疼痛)がすべてのリハビリを阻害しております。よく効く薬に巡り合ったと思いましたが、その効き目も半年しか保ちませんでした。札医大の麻酔科にもペインクリニックにも通いましたがダメでした。動けなくても寝たきりでもいいから痛みだけでも消えてくれればと思います。

  2. 代表)藤橋亮介 より:

    松島 裕 様
    コメントありがとうございます。ご無沙汰しておりました。
    youtube ラジオはいつも拝見させていただいておりますよ。いつも、当事者ならではの目線で、知らないことがたくさんあり興味深く聴かせていただいております。

    もしかすると、中枢性疼痛に限らず、疼痛というものがなぜ人に必要とされているのかについて考え直してみることも必要かもしれません。
    疼痛は不安や不快な情動を引き起こしますが、人が生きていく上で、どんな役に立っているのか。
    疼痛は、よりよく生きていくために必要な「警告」としての働きがあるとされています。
    痛みなく過ごせることは理想ですし、次のステップに進むために痛みを抑えることが止む終えない場合もあると思いますが、
    脳が「痛い」と認識して教えてくれたことを、薬で押さえ込んでしまうことに、私としてはあまりいい方法とは思っておりません。

    当店では、CRPSという疼痛の中でも最も難しいとされる病気の治療も行わせていただいたこともあります。
    そのような方でも、なぜ痛いのか。その痛みは何を教えてくれているのか。を理解して治療していくことで、疼痛を緩和させることもできており、「これからなんだか治っていく気がする」と前向きな言葉をいただくことができました。

    疼痛は一言で表すことは難しいので、またブログで紹介させていただければと思います。
    ご覧いただければ幸いです。
    また、直接ご連絡をいただきましても、もっと詳細に伺えますので、いつでもご連絡お待ちしております!

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