行為の文脈や背景を考える
北海道札幌市で脳梗塞・脳出血の脳卒中を専門に自費リハビリをさせていただいております「脳とカラダの研究所」の藤橋亮介です。
例えば、コップに入った水を
「こんなに入っている」と思うか
「これだけしか入っていない」と思うか
ポジティブ思考や、ネガティブ思考に対する例としてよくあげられます。
小学生の時に、教員からこう問われ、「実際には少なくても、【こんなに入っている】と思う方が良い子」というような教えられ方をしたことが今でも覚えています。(小さい時の記憶なので、本当はどのような意図があったのかは定かではありませんが…)
ですが、これは、どちらがいいという問題ではないですよね。
人の生活には背景や文脈がとても重要だからです。
この問題には、置かれている状況や周りの環境に左右されます。
安い飲食店で、値段の高めの飲み物を頼んだ場合、氷ばかり入っていたら、ネガティブな発言になります。
しかし、高い飲食店では、同じく量が少なくてもオシャレに見え、満足度も高くなります。
もしかしたら、グラスによっても見方が変わるかもしれない。
もしも、砂漠のような地域にいた場合
コップに水が入っていること自体が幸せかもしれないし、
水があった時に水をすくって保管したり、残さず飲むための【コップがあること】自体が幸せかもしれません。
この考えは、脳とカラダの研究所で行うリハビリも同じで、
ことわざで
「魚を与えれば、一日食べていける。
魚の取りかたを教えれば、一生食べていける。」
という言葉の通りで、体をただほぐしたり楽にするだけではなく、お客様自身が日常の生活で、自分で自分をよくしていける方法を見つけてもらうための手段を持ってもらうことが大切だと考えています。
脳とカラダの研究所のリハビリでもこのような魚の取りかたについて、一緒に考えてすすめていきます。
そして、人の動作や行為にも、文脈や背景が必ずひそんでいます。
ただ単純に立ち上がるのと、トイレに行こうと思って立ち上がるのでは、意味が違います。
かならず、動作や行為には、目的や意図があってその目的を達成するための手段となっています。
高次脳機能障害があると、それのためにうまくできない方が非常に多いですので、単純に魚を与えるだけでなく、
お客様自身だけでなく、ご家族や介護者も、魚の取り方を模索して考えていけるようになっていただければ、嬉しいですね。
そうすると、ものの見方や捉え方も、もう少し広い視野で考えることもできるかもしれないと思っています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
ここには、高次脳機能障害の方が、何人かいるんですか?
自分は、高次脳機能障害と言われてますが、周りに報告されたことに依存してしまってる部分もあると感じます。加害者の中の被害者なのか…。どういった形跡で自分が加害者で、被害者になる様な方々が多いのか、それも判断出来てません。
こうじ 様
コメントありがとうございます。
当店には、左半側空間無視や注意障害、失語といった症状を抱えていらっしゃる方がいらっしゃいます。
脳卒中になると、小さな脳の損傷でも高次脳機能障害が生じることが多く、ほとんどの方が普通では気づかれないような高次脳機能障害を抱えている場合が多いと思われます。
そのような小さな症状も見逃さずに、適切にリハビリに対応できることが大切だと私は考えています。
加害者、被害者という意味がわからなかったのですが、
高次脳機能障害であるということを診断するお医者様を加害者、診断される患者様を被害者というような意味でしょうか?